宇宙の中での自分をはっきりと認識できるその心にくらべて
そして、森羅万象と交歓できるその心にくらべて
彼の肉体はあまりにも小さかったから
永くこの世にいることが許されなかった。
子供たちと一緒に、時には一人で森と会話して
土の触感、緑の匂い、風の音、それらすべてを自分に取りこむ。
子供たちと同じく彼にとって自然の存在は祝祭で、
その空間では自分がどんどん透明になってゆく。
歓びも哀しみも沢山あっただろうに
書けばいつでも想像力が感情を上回り
高い純度をもつ鉱物のように言葉を結晶化させてしまう。
彼にとって書くという行為は、その対象になることだ。
だから、いつまでも作品が完成することはない。
なぜならば、自然も動物も他者も自己も
すべては無常で一定の形式をもっていないがゆえに
パッケージ化できないからだ。
そのことを宮沢賢治はよくわかっていた。
けれども、或る魂の記録(日記)として
童話や詩集をひっそりと残した。
デクノボーなりのやり方で。