「スペランカー」

「そういえば、すこし前にマサヨシ君が来たんよ」
久しぶりに故郷へ帰省した日の晩、台所で調理をする母がおもむろに口を開いた。「そこの棚に、ほら、見えるじゃろ。昔あんたにあれを借りて、返すのを忘れてたって、わざわざ持ってきたんよ。なんもこんな年の瀬に来てくれんでもええのにねぇ…」マサヨシは地元の幼なじみで、高校まで同じ学校に通った。しかし、私が就職して以来、一度も会っていなかった。大学卒業後、東京のゲーム会社に入社した私とは対照的に、マサヨシは家業の漁師を継ぐため地元に残った。たとえ、その必要性がなかったとしても、マサヨシは地元に残っていたと思う。なぜならば、マサヨシは子供の頃から地元を愛していたから。根っからの自然児だったマサヨシは、この瀬戸内の海と山に囲まれた風土を心底愛していたのだ。子供時分のマサヨシの仇名は「土人」だった。外で遊んでばかりいたので、いつでも日灼けしていたのだ。

あの日、我が家には数人の友達が集まっていた。誕生日を迎えた私は、両親に「スペランカー」というファミコンのソフトを買ってもらい、早速みんなでプレイしようという話になった。その中にマサヨシもいた。この記憶は私の中で完全に忘却の彼方にあったが、母に言われて、白いカセット型のソフトを手に取ると、みるみるうちにディテールがよみがえってきた。

スペランカーは瞬く間に少年達の期待を裏切った。宝やアイテムを獲得しながら迷宮のような洞窟をひたすら進んでゆくこのゲームは、ちょっとしたことで主人公が死んでしまうのだった。エレベーターから踏み外して死ぬ。小さな穴ボコに落ちて死ぬ。ガスの噴射にちょっと触れるだけで死ぬ。この融通の利かなさと躍動感のなさは、同時期に一世を風靡したスーパー・マリオ・ブラザーズと比べると、ただの苦行であるように思われた。

しかし、マサヨシの反応は我々のそれとは180度異なっていた。「うわっ」とか「おどりゃぁ」と奇声を発しながら、マサヨシはスペランカーにただならぬ興奮を覚えていた。とことん嫌気がさした他の友人が、もうスペランカーはやめにして他のゲームをやろう、と進言するのを振り切ってマサヨシは洞窟で死に続けた。力づくでやめさせようにも、野生児のマサヨシは人一倍ケンカが強かったので、誰も強攻策にでることが出来ず、飽きのまわった仲間は一人、また一人と姿を消していった。そして、夕暮れ時になると、部屋には私とマサヨシだけになってしまった。およそ5〜6時間が経過していたが、結局マサヨシは1面さえクリアできないままだった。「う〜ん、なんでじゃろか?…」両腕を組み、唸るように呟くマサヨシの目はスペランカーのやりすぎで真っ赤に充血していた。私はそんなマサヨシが鬱陶しくなって、ファミコンの本体からソフトを引き抜くと、それを手渡した。
「返すのはいつでもいいけんね」
スペランカーのことなど既にどうでもよくなっていた私がそう告げると、マサヨシは黙ったままソフトをズボンのポケットにしまいこみ、そそくさと帰っていった。

母の手料理を食べた後、2階にある自分の部屋に戻った。子供の頃から部屋のレイアウトは変わっていない。黒い木製のテレビ台には今もファミコンの本体がしまってある。大のゲーム好きだった私は、歴代のゲーム機すべてを捨てることなく大切に保管していた。一人、ベッドに横たわり、あの時のことを思い返してみる。マサヨシはあの後、何面までクリアできたのだろうか?その後、私も友人もスペランカーについてマサヨシと何も会話をしていなかった。

「ちょっと、まてよ…」

突如、私の心の中に痼りのようなものが浮き上がってきた。もしかすると当時のあいつはファミコン自体をもっていなかったんじゃないか?…。漁師であるマサヨシの実家は酷い貧乏だった。それゆえ、マサヨシは冬でも短パンにTシャツという出でたちだった。それに、マサヨシは一人っ子で兄弟もいなかったはずだ。冷静に状況を考えてみると、マサヨシがファミコン本体を持っていた可能性は低い。そう思うと、いてもたってもいられなくなった。幼なじみに片っ端から電話をかけ、最近のマサヨシについて探りをいれた。今どこに住んでいるのか?あいかわらず漁師で頑張っているのか?結婚はしたのか?しかし、返ってくる返事はどれも「知らない」「会ってない」の一辺倒だった。

翌日、私はマサヨシの生家に足を運んだ。元旦の呉の街は、冷えた空気で澄んでみえた。キラキラと光る海の向こうに江田島が見える。東京の喧噪の中で生活をしているせいか、見慣れているはずの景色がやけに新鮮に映る。マサヨシの家のある吉浦の漁港まで来ると、偶然にも、梅オバと呼ばれる、知り合いのおばあちゃんに会った。この近所に住むマサヨシという幼なじみに会いにきたと伝えると、梅オバは少し困惑したような顔で口を開いた。
「それが、西岡の政義のとこじゃけど、ここんとこまったく姿が見えんのよ…。なんでも、半年くらい前から、えらくガラの悪い男らが入れかわり立ちかわり政義のところに来てたようでな。オヤジさんの具合が悪くなってから、金繰りが悪くなっていったようでの、もしや、借金でもこさえておったんじゃないかと思ってのお」
梅オバから話を聞くやいなや、私は全速力でマサヨシの家へ向かった。そして、あばら屋のような家に着くなり、茫然と立ち尽くしてしまった。明らかに人の気配が死んでいた。軒先のポストには新聞やチラシが溢れんがばかりに突っ込まれていた。電気のメーターはピクリとも動かず、扉の磨りガラスからうっすらと見える家の中は闇だ。しばらくすると、とってつけたような扉の隙間に何やら小さな紙切れが挟んであるのを見つけた。『死んでワビいれろ』紙切れにはそう殴り書きされていた。

鉛のように重い足取りで自宅にむかった。思えば私は子供の頃から生まれ育ったこの街が大嫌いだった。いつでも磯臭く、山に圧迫され、さびれた水産工場だらけの、なんの娯楽もないこの土地に未来はないと思った。だから、東京の大学に合格した時、たまらなく嬉しかった。これで逃げられると思った。そして、そのまま東京のゲーム会社に入社した。加速度的に進化するゲームのテクノロジーに夢中になった。表現の深みはどんどん増していった。しかし、私はそれにかまけて故郷の人々との関わりを全くと言っていいほど持たないでいた。いや、持ちたくなかったのだ。
「マサヨシはなぁ、この土地を愛していたんだぞ…」海沿いを歩きながらポケットの中の紙切れを握りしめると、思わず言葉が漏れた。「マサヨシよ、おまえ一体どこ行ってしもうたんじゃ?」なぜずっとマサヨシと連絡をとりあわなかったのだろう?なぜあの時もっとアイツのことを考えてやれなかったのだろう?自分はなんて無神経な人間なんだろうか。そう思うと、泪があふれてきた。

(Y.K. 東京都 会社員)